ただ、今の沖縄は一度戦争で全てを失ってから再建されたものです。きっと戦前の沖縄にはもっともっとすばらしいものがたくさんあったのだろうと思われます。そう思った時に、沖縄を考える上で戦争は避けては通れない問題なのだと思いました。私の大好きな沖縄が、沖縄の人達が、一体どんな目にあってきたのか、それを知りたくて色々な本を探している時にこの本に出会いました。
この本には歴史や軍や政治の話など、難しい話も一部載っています。これは読み手に誤解を与えないようにと加えられているものですが、基本的には島の一人の女性が体験した、目撃した話を中心に、一般の人達の体験が書き綴られているものです。それだけに、読んでいるうちに「もしも!!これが私だったら、私の家族、友達だったら」と思い、辛い気持ちになります。
本のタイトルにあるように、集団自決の話が多く記載されています。集団自決があった事は学校の歴史の授業などで勉強して知っている人も多いと思います。しかし、その時そうしなければならなかった人達がどういう思いでいたか、最後の時にどういう会話をし、どういう行動をし、そしてどうなったか、知っている人は少ないと思います。
悲しい話で思わず目を背けたくなりますが、「昔のこと」と思わずに、多くの人にこの事実が伝わり、色々な角度から戦争について考える機会が増えれば良いと、改めて感じました。
本書は『日本書紀』の欽明天皇以降を現代語訳したものである。この時代は、蘇我氏の台頭と物部氏の没落、崇仏と古来の信仰との関係、聖徳太子、推古天皇と馬子、蝦夷暗殺、壬申の乱などなど、今なお古代史研究の源泉となっている問題が目白押し。にもかかわらず、実際に『日本書紀』を読むと、すっごくめんどくさい、…もとい、難解である(ああっ、本音がっ)。しかし本書の場合、そんな煩わしさとは無縁で、すいすい読めてしまう。こんな簡単に読めてしまっていいのだろうか…、と何やら妙な罪悪感を覚える始末…。とほほほほ…。
無論、このまま読んでもいいと思うけれど、やはり岩波文庫版などと一緒に読み進めるのがベストだろう。現代語訳でどんどん読んでしまうと、本文では「要注意だ」と感じ取れる部分も、一気に読んでしまいかねない。古代史への興味からさらに一歩進んで、自分でもちょっと研究してみようかな、とか考えてる人は、やはり併読でしょう。 講談社学術文庫の宇治谷孟氏による現代語訳『日本書紀』『日本書紀』『古事記』のいわゆる「記紀」の解説書から、邪馬台国の存在や大和朝廷の成立など古代日本史を扱った本は数多にあるが、とにかく基礎資料たる『日本書紀』を、全部読み通さなくても、せめて参照できるように手元において置かなければ正確な知識の習得はおぼつかない。講談社学術文庫のものは宇治谷孟氏による現代語訳で、文章がこなれて現代人が『日本書紀』を手に触れるのに打ってつけのハンディな文庫サイズの二巻本である。岩波文庫のものは原文版であるが、非常に詳細な注釈がついているので両者を併用すると便利かもしれない。日本古代史に関心がある人で、専門家や歴史愛好家の書いたものを読むだけで満足しているような人がいるが、まさに自分たちの歴史を学ぶのであるから、きちんと『古事記』『日本書紀』の原典に当たり、それから様々な関連書に目を通すという、まっとうな態度を心がけてこそ、正確な歴史認識を期すことができると思う。 古事記にはない日本書紀の面白さ古事記は読んだことがあっても、日本書紀を読んだ人はなかなかいないのではないだろうか?説話的おもしろさに富んでいる古事記に比べて、いかにも官選歴史書的な日本書紀は確かに初めは非常に取っつきにくい。特に、日本書紀(上)の初めにある神代の記述は、複数の似通った伝承をもれなく記載しようとしていて、ここであきらめてしまう人も多いのではないか?しかしながら、日本書紀は中国・朝鮮との国交などについて詳しい記載があり、古事記とは異なった視点から古代日本を眺めることができる。特に下巻は、古事記に記載のない持統朝までの詳細な記述があり、特に壬申の乱の項では天武側の動勢が生き生きと活写されている。是非一度、通読されることを推奨します。
毎日のように、繰り返し何冊かずつ読み返しているのですが、読むためにリビングルームに本を持ってくる時、必ずこれを持ってきます。
司馬氏の講ずるところは、今までの小説、エッセイ等のの集大成的なもので納得と供に「またこの話か」といったところです。楽しめるのはキーン氏の異国人としての客観的視点かつ充分な研究に裏づけられた意見、返答に対し「巨人」司馬氏もしばしば旗色が悪くなる場面がしばしばある点です。無論、成熟した大人の二人ですので醜態をさらしたり、各々にとって独善的な結論となることはありません。司馬氏の考えに対し共感を多く得ていた小生としては驚愕の念とともに斬新な1冊となりました。
両氏のコラボレーションは現場の雰囲気を夢想してしまうほど濃密かつ異次元なものです。司馬遼太郎ファンの方はかなり楽しめると思います。 対談本でもおもしろい 対談本って、安直な読み物のような気がしてあまり好きではないのですが、この本は大丈夫です。読めます。
日本人の美的意識について、本書はその多くの時間をかけています。日本文化の美意識がどこから生まれ、何に影響されたのか。彼らが言う吸収しても排出しない日本文化、そんなものをより深く理解させてくれます。
司馬氏はともかく、ドナルドキーン氏の日本史に対するその知識の深さには驚かされます。
不景気で日本人が自信をなくしている昨今、元気が出る一冊です。