横山隊長は零戦がまだ制式採用される前、「十二試艦戦」と呼ばれていた時代から、その性能の熟成に努めた事は良く知られています。中国戦線の長距離爆撃に随伴できる直掩機のなかった陸攻機は無視できない大きな痛手をこうむっていた。前線から、「長距離進出可能な戦闘機を送れ!」との矢の催促により、海軍は、制式採用前の「十二試艦戦」を中国に進出させるという異例の決断をしました。この派遣隊の隊長となったのが、横山隊長なのです。
彼は前線に派遣されてもすぐには出撃せず、その熟成度が納得のいくものになるまで、上官の「陸攻機に随伴せよ」という命令を拒否し続けた。これは零戦のデビューを華々しいものとし、味方を鼓舞するとともに、敵の士気を下げようとする英断だった。これが後に伝説となる進藤大尉率いる零戦隊のデビュー戦における大戦果とつながったのだ。
このエピソードについて横山隊長本人の考え、気持ちが書かれており、その大局的な視点に立った行動には感服した。また、第三航空隊の飛行隊長として戦闘機隊を率いた、彼の一生の大舞台である比島(フィリピン)航空戦も、訓練段階から多くの紙面を割いている。台南空とともに陸攻隊を掩護し、爆撃成功に導くまでの過程を知るには必携の一冊ではないだろうか。
後半は飛行隊長として練成部隊などで若い搭乗員の育成にあたられたが、米軍の進撃の早さに、育成が間に合わないといったジレンマに悩んだ様子が良くわかる。未熟な搭乗員も邀撃や特攻に投入され、不憫でならないが、送り出す指令や隊長の苦悩も尋常ではなかったろう。最後は特攻攻撃へ笑って飛び去っていく若者への畏敬の念と慟哭のみになっているところが、彼の部下への心情が吐露されており、涙を誘った。
この日華事変から大東亜戦争の終結まで戦い抜いた、勇敢で部下思いの飛行隊長に敬意を表する。この彼の渾身の回想録を是非読んで頂きたい。
高度成長期の日本人にとって、『坂の上の雲』のような物語が必要であったように、自分の人生のある時期には『坂の上の雲』が養分になった訳です。
乃木という、能力に様々な限界があり、そのことを強く自覚しながらも懸命に闘った男を、単なる浪花節ではなく、現代人がどのように評価するかが、成長に限界の見えた日本の、日本人に問われている大きな課題なのではないでしょうか。 最近いなくなった真面目な研究者別宮暖朗は最近日本にいなくなった真面目な研究者です。他言論人が語る日露戦争と比較してみてください。もはや他言論人を「超えて」しまってます。例えば「第2章 歩兵の突撃だけが要塞を落とせる」「第3章 要塞は攻略されねばならない」を読んでください。私などは『坂の上の雲』で学んだ日露戦争観が木っ端微塵に吹き飛びました。
日露戦史ファンには当然お勧めですが、「本を書くという作業はここまで調べねばならぬのか!」といった刺激が必要な手抜き言論人にも読んで頂きたい一冊です。