氏の歴史ドキュメンタリーすべてに一貫していることですが、日本史に興味のなかった私を、日本史好きにしてしまうパワーがあります。歴史教育というものは、日本に限らず世界中どこでも、どうしても時の権力のバイアスがかかってしまうものだと思いますが、そうしたバイアスから自由になり、人びとの生きた跡というナマの歴史を提示してくれる貴重な存在です。なぜ学校での日本史の授業が面白くなかったのか、逆説的に提示してくれる本。 日本人独特の心のありかたから解析した好著日本では天皇はひとつの家系からしか輩出できないとされている。時代が変わってもそれは続いている。海外では、力あるものが天皇になろうとして時の覇者になることは可能だ。しかし、天皇になろうとして画策した人物がいた、それが義満だ。なぜ金閣の上に鳳凰がしつらえられているのか?などさまざまな疑問を解き明かして行く。
歴史家では解き明かせなかった謎に迫る好著である。
また、当時の戦国大名はおよそ他国の侵略から配下の領主・領民を擁護することがその第一の使命であり、合戦において多数の戦死者を出すことは取り返しのつかない軍事力・経済力の喪失を意味し、領国の崩壊、大名としての立場を失うことであった。いわゆる「定説」にある謙信の妻女山への布陣は、当時の武田方の城砦の配置状況から見てありえない不可能なことであり、結果として多数の戦死者が発生したことは両軍の戦史における大きな汚点であった。このため激戦とされるこの合戦の資料・文献はあえて存在することが許されず双方の歴史の汚点として闇に葬られたのであると結論付けている。
長年の現地調査の成果として纏め上げられた内容であり、定説を覆す着眼点には興味深いものがある。ただ、あえて言うならば必要以上に他の研究者の引用が目立ち、もう少し明確に自説としての展開があっても良かったようにも思う。
ポイントとしては…。1 信長は宗教嫌いではなかった。2 信長は自身が仏教やキリスト教などを越えた神になろうとした。の2点。いずれも表紙に書いてあることですが…。
日本人の宗教観を変えることになった信長の態度(所行?)は、日本史(宗教史)を考える上で重要な指摘といえるでしょう。 新しい信長像 資料第一主義で歴史的背景の欠如した従来の日本史観を再検討し、日本史に新たな視点を提供する「逆説の日本史」シリーズの第10弾。本書でも著者のオリジナリティあふれる学説をもとに、明快に日本史を紐解いている。織田信長は世間で認知されているような、合理主義者・無神論者ではなかったという注目すべき持論を展開しており、一読の価値がある。
特に宗教的観点からの安土城の考察は興味深い。宗教的背景を重要視する著者ならではの大胆かつ精緻な分析に、読者は今までの織田信長像を覆されるだろう。 なるほどこれより前のシリーズを読んでいないのですが、織田信長に興味があったので読んでみました。著者の強調する、宗教的知識に基づいた観点からの歴史考察の必要性については、確かにその通りだと思う。また資料的裏付けを偏重する歴史研究者への提言にも、ただの歴史ファンの私としては同意できた。そして、心理学の側面から信長の真の姿を追求してみよう、と呼びかけることの必然性にも納得がゆく。もちろんどんなに研究しても400年以上も前の人間の真の姿を解明できるとは思わないが、その過程を見てみたい、そう思わせる内容でした。 信長は本来穏やかな武将だった!?副題は『天下布武と信長の謎』。一冊丸ごと信長です!信長は本来穏やかな武将だった、信長は宗教弾圧などしなかった、安土城に込められた唯一絶対神を超越する総合絶対神への志向、など。大変面白かったです。次巻も気になります。なお、他の信長評論では秋山駿氏の『信長』、小室直樹先生の『信長の呪い』をお勧めします。
また、豪華絢爛な安土城の天主を復元した『安土城天主 信長の館』はいつの日か必ず訪れたい。