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何か虚しくなる この本に書かれていることは、基本的に、戦前の日本の「悪行」とされる?主としていわゆる進歩的文化人、東京裁判史観の方々?事実について、資料、それも原則として一次資料に基づいて、その事実の有無、内容を丹念に論じている。
この著者のたゆまない歴史の見直しについての情熱には頭が下がる。
しかし、この問題について、多くの追従者が補強作業を行なっているが、肝心の日本の指導層は、今もって、どこかに「謝罪外交」の蔭を引きずっているようである。
竹島や、東シナ海での油田開発での韓国や中国への弱腰、2006年7月5日の北朝鮮のミサイル発射に対し、本気で抗議しているのか?
何か、日本人に戦後「刷り込まれた」「日本人悪人論」がまだ払拭されていないのではないか?
この著者が、生涯かけて書き続け、調べ続ける問題を、日本人の共通の認識に出来る日が来るのだろうか。それを思うと、やや虚しく感じる。
真実がいつも中立のところにあるとは限らない。 従軍慰安婦や731部隊、教科書問題における秦氏の実証的研究には敬意を捧げる。が、こと南京虐殺問題ではすべてにおいて実証的分析が為されているとは言いがたい。氏によれば、軍人捕虜殺害(裁判無しの処刑)による被害者は戦闘詳報から推計し「3万人」、民間人殺害数については「手がかりになる資料がきわめて乏しい」としながらも「1万人」と推定する。 しかし、中国軍敗残兵・便衣兵は国際法違反を犯して安全区に潜んで隙を見て攻撃するなどしており、「即時処刑も可」の戦時重罪犯であった。これらの掃討・処刑は全く合法的な戦闘行為の延長である。秦氏はこの事実を全く無視して処刑をすべて虐殺とみて計算している。 また、民間人についてはラーべ日記からしても「万単位で目減りしたらしい様子は窺え」ず、「散発的な民間人殺害もせいぜい数人ないし数十人」であり、「便衣兵の摘出作戦で間違えられて処刑されたもの(多くても数千人)」と秦氏は言っている。それがどうして「1万人」にふえたのか、はっきりした論拠はしめされないままだ。 南京法廷の調査によると、南京市民は「日本軍の残虐を訴える者極めて少なく、むしろ『あれは中国軍の仕業』と言うものすらいる」状況だったことを思えば、虐殺どころか「間違えて処刑された者」も殆どいなかったと考える方が自然ではないだろうか? いずれにせよ、秦氏の信頼するベイツ博士(4万2千人虐殺説)をはじめ、南京にいて日本軍の『残虐行為』を訴えた外国人達は中国国民党政府の「お雇いプロパガンダ要員」であった事実が中国側資料であきらかになっており、秦説も根本的に見直す必要がある。 秦氏がけなすほど「否定派」の研究は非実証的ではない。
不毛極まりない歴史論争 かつて日本中に蔓延していた左翼思想と、南京大虐殺否定論に見られる、近年徐々に顕著になる右翼史観。私自身もこうした歴史論争のせいでバランス感覚を崩しつつある1人ですが、本書では、歴史学者として最も中立的かつ客観的な著者が、昨今の論争を詳述しています。丁寧な裏づけや検証はいつもながら著者らしいですが、それにも増して論争の裏話の描写が非常に面白い。南京大虐殺、従軍慰安婦問題、太平洋戦争、満州事変、東条英機の戦争責任などの事例に関する、近年の不毛な論争の実態が余す所無く曝け出されています。最も興味深かったのは家永裁判に関する部分。家永三郎氏の変節振りや、家永氏に対する朝日新聞の露骨な肩入れ、大野裁判官による司馬遼太郎発言の悪用、検定が無いために書きたい放題の虎の巻など、あまりに馬鹿馬鹿しい裏話が次々に出てきて、よくもまあこれだけ不毛な論争に30年以上も費やしたものだと感心してしまいます。 それにしても、この問題にはつくづく救いが無いと言うか、不毛極まりないと言うか、これでは教育を受ける子供も救われません。教育の退廃ということが言われて久しいですが、歴史教育でさえこの有様だから、理論的思考力が必要な理系科目の退廃振りは推して知るべし。こうした教育の退廃を目の当たりにしてもなお、学者たちは史実を学びもせず、イデオロギーを押し付けることしか考えないのだから、全く始末が悪い。 情報公開法の制定や第三者による教科書検定など、本書ではこうした問題を解決するために独自の提案も為されてはいますが、残念ながら歴史問題に目立った改善は見られません。近隣諸国を巻き込んだ論争に終止符を打ち、歴史教育をあるべき姿にするには、何らかの改善策が必要でしょう。そうは言っても、現状を打破しようとすれば、日本中の左右両陣営の感情を逆撫でし兼ねないでしょうが。
浮かれた左右両派に冷や水を浴びせる一書 著者は歴史学者としての「史観」を追求している。 「歴史家としての私が最も重視しているのは、 何よりも正確な事実の確認作業である」と主張する。 歴史を語るうえで事実の歪曲や無視が許されないのは 当然のことだが、無論話はそれほど単純ではない。 最近わが国で激しさを増している「史観」論争に右往左往し、 バランス感覚を失いつつある読者も多いのではないだろうか。 著者が主張する一見どっちつかずの立場は、南京事件の 死者数に関する記述や東條英機の戦争責任への言及などと あいまって、多くの読者を戦慄させ、左右両派からの激しい 批判を誘うに違いない。 「史観」をめぐる喧しい議論に、「これはもう信じるか否かの 問題なのだろうか」と疑心に駆られずにいるには、読むほうも かなり冷静な考証と判断が求められる。まして拠り所となる 専門家の著書を一般の読者が正しく検証するのは至難であり、 様々な意見に翻弄されがちであるが、厳しい資料批判を信条として 書かれたとする本書をサードオピニオンとして一読することは、 一級資料に直接触れる機会の少ない一般読者にとって有益では ないだろうか。
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