もちろん涙なしでは読めない部分も多いのだが、未来も希望もうばわれ、死を覚悟した彼等の手記のなかには、なにか理解をこえたふしぎな明るさが内在していて、それがときたまぼくを勇気づける。
戦場での生活というのはおそろしく孤独だったろうが、満天の星空なんかはとってもさわやかだったのではないか。深夜、そんな環境にいる若い兵隊さんのことを想像してみると、ふと、彼等と交信しているような気分になるのだ。
そうしたひとびとのよすがを偲ぶことはぼくにとっていつでもすがすがしい経験である。
あまりこのような作品に目を通すことはないのですが、ふと立ち寄った本屋で何気なしに手にしたのがこの本でした。
隼が如何に名機であったかは、実際に目にして見ることはもう出来ません。
しかし、中島飛行機技術者達の製作過程の苦労を、この本を通じて読み進めていくと、隼と言う飛行機が如何に秀才機であったかが窺い知れます。
死の際でも言葉を綴った人々の文章は重く、とても力がある。そして、読むと何も言えなくなる。
届かなかった日記は、それでも届くことを信じる人々によって書かれ、60年の時を経て、肉親の心を打つ。肉親ではない私たちの心も。
家族とはなんだろうか。恋人とは何だろうか。その答えのキーが、彼らの手記の中にはあるような気がする。
私を含む、戦争を知らない若い世代の人々は、読まされるのではなく、ぜひ自ら手にとって読んで欲しいと思う。死は無駄にはならない。そのことに対して何かを感じる人がいれば。少なくとも、この本を読むとそう信じたくなる。 戦争を知らない子供たち戦場で、明日は生きているかどうかわからない状況の中で毎日どんな気持ちで日記を書き続けたのでしょうか・・・妻へ子供へ両親へそして恋人へ・・・戦争を知らない私は何と言っていいのかわかりません。この本は戦争を知らない私たちの世代の人も今の時代の若者にも読んでもらいたい一冊です。戦場で命を落とされた方々のご冥福を心からお祈りします。
憲兵になるまで、心優しかった土屋さんは、兵隊社会の中でうまくやってくため、上官に認められて自分の家族が恥をかかないために残虐行為を繰り返したのでした。中国人に対する拷問は本当に酷く、「うわあ・・・」と思うものがあります。戦争中の軍事教育がいかに人を酷い人間に変え、いかにその人の人生を狂わせてしまうかがわかります。
土屋さんは今でも殺してしまった人に対して後悔してもしきれない思いをいだいておられるようです。この加害者もある意味被害者に思えてなりませんでした。