中学校で習ったのは、ザビエルと天草四郎と家光による鎖国令くらいで、天正少年使節については記憶に残る程には習わなかった。高校では、歴史は世界史を選択(個人のことですみません)。が、いずれにせよ、こんなに濃密にこの時代とキリスト教、少年使節の足跡などを著者と歩むと、今までとは違った歴史観を持つことになる。つまりこの時代は、日本も世界、特にヨーロッパ諸国やアジア諸国と対等につきあい始めていた(少年達も滞欧を通じそれが出来るまでに成長した)し、キリスト教の日本への浸透も、常識以上に広範なものがあった等々、新しい視点にたたされることとなる。それだけに、たとえば、ナチスのユダヤ人絶滅計画に比される程のキリシタン弾圧とその屍の上に築かれた鎖国体制は、また常識と違った意味合いをもったものに見えてくる。とすると、明治以後の歴史までも見直したくなる。本書は、それほどの力作。
女性の目から見たキリスト教や仏教、歴史書の批判的読み方、宗教の優しさと残酷さ、世界や歴史においてもっとも大事なのは何か、等々、要所々々で示唆してくれるところも読んでいて面白い。
緑陰もよし、秋の夜長も、暖炉の前もよし、じっくりと読んでご覧になることをお薦めします。なお、少年使節達の足跡をひととおり詳しく追うには、松田毅一(著)「天正遣欧使節」(講談社学術文庫)がお薦め。 丹念に史料を調べた力作 バチカンなどに残る外国の史料を中心に、膨大な文献に基づいて、4人の少年使節やその周囲の宣教師、大名をはじめとするキリシタン関係者、信長や秀吉、スペイン王、ローマ法王といった時の権力者達、そして名もなき民衆や信者達の行動と相互の関わりを読み解いている。キリシタン史の解説本としても秀逸だが、筆者は、権力者や支配組織の視点で歴史を見下ろすのではなく、むしろ、信仰に生きる個人の側に暖かい眼差しを注いでいる。歴史好きにはぜひお薦め。 この作者ならではの歴史の世界天正少年使節は、知ってるようで知らない世界であった。中浦ジュリアンの史跡を昨年たまたま通りがかりにたずねなかったら、この本を読んではいなかった。しかし本の厚さにたじろぎながらも、読み始めると一気に読めた。作者が美術が専門であるだけに、出てくる登場人物の衣装の色や形への言及も細かく、これだけでも今までの歴史書にはない視点であり、読みながら、華やかなローマやフィレンツェでの使節の様子が映画のように目に浮かぶ。それだけにまた、少年達の運命の過酷さは痛ましい。時代という大きな歯車は、信長も秀吉も家康も飲み込み、地球規模での歴史の流れに、だれも逆らえなかったのかもと苦い思いを抱く。「渾身の」という形容詞がぴったりはまる力作。 世界が日本を見た 日本が世界を見た実に分厚い。500ページを超える大著である。
が、読むだけの価値がある。日本と世界のかかわりという問題を「天正少年使節」を手がかりに考えさせる好著である。
当時の世界の状況から、日本社会の問題点まであまさず解き明かしながらも、非常に平易で読みやすい文章にまとめている。
また、この時代の日本人がヨーロッパに赴いて
各地で大歓迎を受け、多くの人々に好印象を与えていた事実に強い感銘を受けた。
それにしても歴史の中で犠牲者となるのは、いつも弱く名もない庶民なのだ。
世界を見るべく四人の少年たちが希望に燃えてヨーロッパに向かった姿とは裏腹なつらい後半生には胸が痛んだ。
最後に穴につるされて殉教する中浦ジュリアンの姿を
描いて終わっているが、作者が書くようにきっと年老いた彼の目に最後に映ったのは、船上で笑いあう四人の少年たちの姿だったのだろう。