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[ 大型本 ]
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時の迷路―恐竜時代から江戸時代まで
・香川 元太郎
【PHP研究所】
発売日: 2005-03
参考価格: 1,365 円(税込み)
販売価格: 1,365 円(税込)
中古価格: 1,300円〜
( 通常24時間以内に発送 )
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・香川 元太郎
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カスタマー平均評価: 4.5
題名だけではわからなかった面白さ 題名にある通り、いろいろな時代をモチーフにした迷路がたくさん載っています。
勉強というつもりではありませんが、子どもが色々な「時代」を迷路を通じて感じるのは、なんとなく「歴史」を感じてくれるのではないかな?などと思いつつ一緒に読みました。
が、はまってしまったのは隠し絵のほう。なかなか見つけづらい隠し絵で、子ども以上に没頭してしまいました。
迷路は迷路で面白いのですが、私にとっては隠し絵ですね。題名だけでは判らなかった。
非常に面白い本だと思います。
緻密な絵に引き込まれる… 小学一年生の我が子に購入しました。 はじめは図書館で借りて読んでいたのですが、毎日のように眺めているので… 迷路、騙し絵などが好きな大人にもGOOD。 明治時代以降も載ってれば☆5つ付けました。 惜しい…
大人向け? タイトルと精緻なイラストに惹かれて、手にとってみました。迷路や隠し絵、騙し絵が盛りだくさん。 しかも、結構難しい。 思わず、先に答えを見てしまったり… 大人でも充分、楽しめると思います。
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[ 単行本(ソフトカバー) ]
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逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)
・渡辺 京二
【平凡社】
発売日: 2005-09
参考価格: 1,995 円(税込み)
販売価格: 1,995 円(税込)
中古価格: 2,370円〜
( 通常24時間以内に発送 )
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・渡辺 京二
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カスタマー平均評価: 4.5
悲しいほどお天気 最初の版元の葦書房のHPより勝手に引用(探して下さい)
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もちろん著者が意図的に選択した方法であったと思われますが、なぜ外国人の目だけという偏頗きわまりないな光源を通してまでも、「逝きし世の面影」をかくも美しく、しかも執拗に拡大再現しなければならなかったのか。渡辺氏の他の著書を読んだことのない読者は、著者は単純に過去の礼讃をしたかったのかと思うはず。
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はい、思います。
なんでか知りたければ、他の本を読めというハナシが続くのですが、こんな馬鹿らしい本読
まされて、また別の本買うって言う気にはなれません。
ともあれ、葦書房さんは正直なので高感度アップ。くだらん帯つけて売ろうかなの平凡社は
高感度大幅ダウン。
本の評価は1。理由は葦書房さんが述べているとおり。
なぜ、渡辺は平凡社のつけた「読書人垂涎の名著」とかいう恥ずかしい帯に抗議しない。
呆れるばかりである。
美しい書 (「眉に唾して読むべき」個所があるにせよ)これは美しい書である。
それが美しいのは、すでにそれが失われてしまったものであるからである。文字通り、逝きし面影だからであって、それ以上でも以下でもない。私は、遠い昔に存在した美しい思い出だけが記録された、遠い異国の物語を読むようにそれを読み、ああ私もそんな街を歩いてみたかった、と想う。
今の私の視点は、それを書いた当時の西欧人と同じ様なものかもしれない。
既に社会経済の工業化が進行しつつあり「牧歌的だった〈古き良きイギリス〉が,〈暗くて惨めな〉工場労働を主体とする貧困と犯罪の都市的・工業的社会に変えられてしまった」と感じていた西欧のエリート達が日本に来てみた風景や人々。
おそらく1800年代半ばのロンドンは既にスモッグでおおわれていたのではなかったか。街中に見られる煙といえば、庶民の家から食事の仕度をしているらしいかまどから出る煙しかない当時の日本の街々。澄んだ空気。鮮やかな緑。大きな青い空。
書き手(観察者)にとっては、見るものすべてが新しく、しかし、どことなく懐かしい。
そのような風景は確かにそこにあり、しかし今はどこにもなく、そしてそれはこの先も永遠に取り戻すことのできないものであろうという思い。そしてそれを滅ぼしたのは私たち自身であったという自覚。「現代」に居る私たちは、そこから出発しなければならない、と著者は言っているだけだ。
近代化の成功と引き換えに失ったベルエポックを描く すでに失われた日本のベルエポックを、外国人の目を通して描いています。
気をつけたいのは、著者が強調しているように、これは普遍的な「日本」論、「日本人」論ではないということです。19世紀(江戸末?明治中期)の、特定の時代の日本を摘出しているのです。
さらには、当然あるに違いないダークサイドにはあえてふれず、良き面を中心に描いています。これも著者が強調しているところで、「何々について触れていない!」という批判はお門違いなのです。
この時代、人びとが、いかにゆったりと、足るということを知り、幸せに満ちた生き方をしていたか、著者の全面的な共感とともに、私たちも共感し、おもわず涙がこぼれそうになります。しかし、近代化の成功と引き換えにそれは失わざるを得なかったということで、胸がつまる思いがします。
日本人が気にとめていない日本の良さ この本を読んで、百数十年前の日本の認識ががらりと変わりました。
著者は江戸末期から明治初期に来日した外国人識者の目から、当時の日本人にとってはあたりまえすぎて記録にならなかった庶民の生活の息づかいを浮き彫りにしています。
幸福そうな笑顔、陽気でよく笑う、礼儀正しく親切、おおらかな性、子どもが大切にされている、動物との共生、仕事や生活そのものを楽しむ。こうしたことが、ある一部の地域や階層のみのことではなく、津々浦々、庶民の最下層にまで行き渡っていたことに目を丸くします。
「逝きし世」とは、この輝きに満ちた日本文明が死すであろうことを、西欧文明を持ち込んだ当の外国人識者が、明治初期に既に予見し惜しんでいたということ。墓標として書き残さずにはいられなかったという気持ちがよくわかります。
ところが、読後感は意外に明るいものでした。外の目から見ることで、気にもとめていなかった自分の良さを発見することがありますが、ちょうどそんな感じで、私たちの体の中にまだまだ江戸人の豊かさがあることを見た様な気がします。
文庫としてはかなりボリュームがありますが、証言集みたいなものですから、章ごとに「」部分を拾い読みしていくだけでも要点はつかめます。
常識を覆す良書です。
かつて日本を満たしていた別の文明 冒頭で、強引な通商交渉の為に来日していたペリー(ハリスだったかもしれません)が艦上から美しい風景を眺めながら、来日数日にして煩悶に陥ります。目の前で消え去つて行かうとしてゐる美しい文明。ここに西欧を持ち込むことに義はあるのか。
明治維新前後、多くの西洋人が日本に滞在し、様々な文章を残してゐます。其れを縦横に読み解くことによって、当時の日本の姿を浮き彫りにしてゐくと、今の日本とは連続性の無い一つの文明が現れます。
詳細に言及すれば、著者の誤りや偏見、贔屓があるとは思います。然し乍ら、ある文明が確かに其処にあり、今の価値観とは異なった幸せと美しさがあり、惜しまれるべきものを持っていたという著者の主張は正しいと言わざるを得ません。
もう帰って来ない「逝きし世」。当時の幸せと喜び、特に子供達の平明さを誇りに思います。幸あれ。
この先、折に触れ何度も読み返す事に成ると思ひます。
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[ 単行本 ]
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沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった! (ワックBUNKO)
・曽野 綾子
【ワック】
発売日: 2006-05
参考価格: 980 円(税込み)
販売価格: 980 円(税込)
中古価格: 860円〜
( 通常24時間以内に発送 )
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・曽野 綾子
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カスタマー平均評価: 4
定説を疑う重要性 集団自決の軍命があったと定説化されていた件につき、徹底的に現地調査をし、調査が進んでいくにしたがって疑わしくなっていき、実態がかなり誇大化されている点を感じ始める。「命令説」はよりどころを失い、これまで集団自決のあらゆる著書で引用された『鉄の暴風』をはじめ、それをモトに書かれた『沖縄ノート』の不十分な調査が際立ってくる。少なくとも定説とは事実ではなく、証言とはいい加減なものであるということに気づかせてくれる本だ。
この本をきっかけに、軍の強制や命令があったと唱える研究者等も少し表現を変えはじめたように思える。「命令があった」とはっきり言わなくなり、「そのような風潮があった。それが強制」「手榴弾を手渡した。だから関与」という論が中心となっているように思える。しかし、そのすべては、「証言」をもととして推測で語られており、それもまた徹底的な調査が必要だと思える。
勝手な推測でしかないが、日本兵(と言っても赤紙一枚で全国から召集された若者達)の94%が亡くなり、沖縄民間人は15%が亡くなった。確かに住民の4分の1が亡くなったのは悲しいことだが、兵士と比べてみると、75%が生き残ったということは、兵士が住民を守り、最終的に兵士達だけで自決もしたということがわかる数字ではないだろうか?
こうした何かをモトにした推測だらけなのがこの問題の問題である。
特に後半は主体性を持って読むべき コツコツと関係者にインタビューを試み、証言を集めている姿勢は好感が持てる。そのような取材を行っていたメディアが少なかったという事実がある以上、本書は一読の価値がある。
内容は赤松隊長が直接自決命令を出したかの検証が中心である。ただ、軍の手榴弾が多数民間人に渡ったこと自体がまず大きな問題であり、当時の日本軍の軍規から考えても武器及び部下の管理責任は隊長にあることから、「住民に対して後ろめたい気持ちはひとつもない、という赤松氏の発言もかなり妥当性のあるものになって来る」とまで述べている主張については議論を要する。
また、集団自決の背景を探るには、軍が駐留していない島では集団自決が発生していないという事実についても比較考察すべきだ。
赤松隊が丸腰の女性含む複数の民間人を殺害したことにも触れているが、頁数の大半が殺した側の言い分とその解説に割かれている。また、犠牲者への謝罪証言が当事者側に見られないのは残念だ。米軍に保護されて降伏を勧めるために来た人は、食べ物やチョコレートをくれる米軍は日本軍の喧伝とはずいぶん違っていたことを身をもって理解していた筈だから、それを信じてもらえずに殺されて無念であったろうことは想像に難くない。しかし、そのような死に追い込まれた被害者に対して「日本国民としてあるまじき卑怯な行為をした、というふうに、思い始めたからなのだろう」としている点には違和感がある。
「常に沖縄は正しく、本土を少しでもよく言うものはすなわち沖縄を裏切ったのだ」としている説についても、沖縄が戦場になり大きな犠牲を出した史実を直視した上で、それぞれがよく考えてみるべきだ。
戦争の悲劇の原因は現場部隊だけにあるものではないし、本書の中の証言間にも矛盾があるように全ての追求は難しい。ただし、軍の手榴弾で集団自決があった点や、軍が直接殺した人達もいたことは大きな事実であるのに、一部著作の不備を突くことと、集団自決については命令していないと言っているという一点を強調することで責任があるとはいえないという結論にまで導く論法が正しいかは意見の分かれるところだ。
著者は自分の意見をはっきり持っているが、多くの素材を提供してくれてもおり、他の資料にも触れた上でそれぞれが主体性を持って読むべき書である。
半々で読むほうが良いでしょう 曽野氏の調査には復刊前の本が出版された当時から、「軍隊による強制」を肯定する証言は恣意的に取り上げなかった等の批判が加えられてきました。そのため内容に関しては全面的に信頼できるものではないように思われます。
ただ、一方の証言等に関してはなかなか詳しい調査が行われており、あくまでもひとつの参考として見てみる分には良いと思います。
以上から、なかなか興味深い本でしたが、内容は全面的に信頼できる程のものではなく、半々くらいの気持ちで読むべき本だと思います。
内容は復刊によって一部改訂されています。
「口頭」で命令はしなかったと言う論証 沖縄の集団自決に関わる裁判として、この書物で出てきた日本兵の親族が彼らから自決命令は出していなかったとして「沖縄ノート」にかかわって岩波書店や著者の大江健三郎氏を訴えており裁判になっております。こう言う裁判を成立させた点で、曽野さんのこの書物が大きな役割を果たしたと思います。そして裁判の経緯も徐々に表に出てきておりますが、曽野綾子さんが言われるように、「口頭」で「自決しろ」と言った証拠はなさそうです。しかし、同時に裁判の経緯からも、日本軍に強制されていたという心理的な構造があったということが更に明らかになりつつありますね。告訴している側も今では、論点は「命令しなかった」と言うことであって、「強制がなかった」と主張しているわけではないと言いはじめていると聞き及んでいます。つまり日本軍は強制には係わったけど、集団自決の前日には「命令は出していない」と言う主張でしょうか。曽野さんは非常に細かく「自決しろ」と言う「(口頭での)命令」はなかったという論証をされています。その部分は、精緻だといえるとは思います。しかし軍から渡された手榴弾を持っているものはそれで、持たぬものは自分の兄弟姉妹、子供、妻を刃物で切り裂いて殺した人々の状況はどうであったのかを文学者ならきちんと見据えることができるようなものでないと良い作品だとは言えないと思います。この本を読まれる方はぜひ、来年はじめには決着する裁判の行方や、現在沖縄の市町村民議会の大部分がおおきなうねりを持って教科書から削除された「日本軍の強制」の部分の復活させようと言う動き、今まで黙っていた集団自決の生き残りの方々の新しい証言にも耳を貸すべきだと思います。
沖縄渡嘉敷島での集団自決の真相に迫るノンフィクション 昭和48年に文藝春秋社から刊行された「ある神話の風景」はのちにPHP研究所から平成4年に文庫本化された。長らく絶版であったが、それを平成18年に単行本化したものが本書である。
渡嘉敷島での集団自決を著者が現地に赴いて取材したのであるが、「鉄の暴風」で記述されているように戯画的に単純なことではないようである。なにしろ「鉄の暴風」に書かれた集団自決の話は、直接の目撃者ではない二人の伝聞に基づいたものということ。本書は、軍の強制による集団自決であると主張しておられる人たちにとっては読みたくもない本であるし、人に読ませたくもない本だろう。
赤松隊長による命令はあったのかどうか。次第に本書で明らかになっていくことだが、取材を通じて再現された当時の状況を知るにつれ、「集団自決は軍の強制だ!」とか「ただのでっち上げだ!」と互いに割り切って主張しあう次元のことではないように思われる。
非難する人たちがいう赤松氏の責任は単に軍人としてのものではないであろうと筆者は理解を示す。だが、仮に人間としての責任があるのなら、他人が「感じろ!」と強いることが出来ないものだと。それが出来るのは神だけだと。
いまだに「日本軍が一方的に悪者」史観が幅を利かせているが、本書にはそんなプロパガンダとは比較にならない陰影に富んでいる。
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[ 大型本 ]
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ビジュアル版日本史1000人(上巻)
・瀧浪 貞子
【世界文化社】
発売日: 2007-10-11
参考価格: 2,520 円(税込み)
販売価格: 品切れ中
中古価格: 3,910円〜
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・瀧浪 貞子
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カスタマー平均評価: 5
無造作でいいね こうゆう抽象的な図鑑って大好き
ちょこっと、いいとこどり
ちょこっとの美学
気になった人物はネットで詳しく調べる
おもしろい。いつまでも飽きない。
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[ 大型本 ]
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ビジュアル版日本史1000人(下巻)
・小和田 哲男
【世界文化社】
発売日: 2007-10-11
参考価格: 2,400 円(税込み)
販売価格: 品切れ中
中古価格: 3,800円〜
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・小和田 哲男
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カスタマー平均評価: 0
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[ 文庫 ]
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水木しげるのラバウル戦記 (ちくま文庫)
・水木 しげる
【筑摩書房】
発売日: 1997-07
参考価格: 998 円(税込み)
販売価格: 998 円(税込)
中古価格: 897円〜
( 通常24時間以内に発送 )
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・水木 しげる
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カスタマー平均評価: 4
教科書に載らない話 教科書や映画では決して描かれていない、初年兵(一番下っ端の兵隊)から見た戦争を知ることが出来た。
毎日の古兵からの理不尽ないじめ。「敵の方があっさりしていていい感じ」と語る口調に思わず笑ってしまった。
色々な太平洋戦争に関する小説・実録DVDなどみたけれどそんな話どこにも載っていない、
と言うような事ばかり。のんきな水木氏の語り口調にほんの少し救われるそんな一冊です。
それでもとても悲惨で残酷だけど必読かと思います。
キモイ このひとの画、マジキモいお?(w)汚いお(w)子どもには見せられへんなぁ?いや正味正味ってなんで関西弁?ってか(w)
人間は悪いのではないのかもしれない 腕をうしなってもラバウルの人たちとの交流
ひとびとはまずしくとも暖かい心根をもっていた。
戦争そのものがいけないのだ。
二人居ると上下関係ができるという、昔からの言葉にある。
軍隊のなかの人はそれは根性がねじれたものもいただろう。
しかし、多くの軍人にならされた人々は普通の人達であったのだ。
敗戦の日がまたやってくる。
わたしの知らない日がやってくる。
是非ご一読推薦いたします。
合掌
水木青年の好奇心あふれる体験談 戦争体験というものは、おそらくどんな人のものも強烈で、ゆうに一冊の本として刊行される価値のあるものだろう。
だけど、水木さんのそれはどことなくユーモラスで、あまり類を見ないもののような気がする。
それは、水木さんの「好奇心」の強さに起因するものだろう。
自然の壮大さや現地人との交流一つ一つに目を輝かせる水木青年の姿は、戦争中の話とは思えなくなるくらいだ。
もちろん、これが戦争の真実だというわけではないだろう。
実際にはより悲惨な現実があったはずだ。
だがこの作品を読むと、あの戦争にいったのがごく普通の人々であり、みなそれぞれ様々な思いを抱いていたことを感じさせる。
雰囲気のあるイラストとともに、読みやすくも非常に心に残る作品だ。
一つの人生論 南方へ送り出された船は殆ど撃沈される,使役をサボりゲタでぶったたかれ気絶,毎晩キャンプを抜け出し点呼に遅れてどつかれても懲りず,見張りで夜の海に見とれ朝寝坊して帰ると部隊が全滅し一寸先は闇の世界に転落,生きて辿り着けば罵倒されマラリアに朦朧,ネイティブに助けられ(続きはトペトロとの話)彼らのお祭りに有頂天,こういう人生があろうとは!!
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[ 文庫 ]
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パール判事の日本無罪論 (小学館文庫)
・田中 正明
【小学館】
発売日: 2001-10
参考価格: 560 円(税込み)
販売価格: 560 円(税込)
中古価格: 196円〜
( 通常24時間以内に発送 )
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・田中 正明
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カスタマー平均評価: 4.5
もう一度振り返る 東京裁判の虚偽性につき、またパール判事の法律家としての誠実さにつき、非常に深い学びの時を得た事を感謝す。ただし、「小林なんとか」という人の推薦文が冒頭に付されていたのが非常に残念であった。先ず、偏狭、浅薄なナショナリストの推薦文自体、本書の品格を著しく損なうし、また、推薦文自体の内容も甚だ薄弱で、これでは推薦文ではなく小学生の感想文である。
東京裁判について知るために 東京裁判において、日本の無罪を主張したインドのパール判事の資料をもとに書かれた書籍。
自虐的な歴史観に洗脳された日本人は、必ず読むべき1冊。
「戦争はいけない」「日本は侵略戦争をした」などという議論で、60年以上ものあいだ思考停止を続けてきたが、事実を知り客観的に先の大戦を認識する努力をすべきである。
私は、つい最近まで自虐的な歴史観を何の疑問も持たずに生きてきたが、本書を読んだことで、自分の不勉強さを恥じるとともに、日本の教育やマスコミ、社会に対して憤りを感じた。
惜しむべくは、パール判事の法の精神にのっとった主張が、著者によってやや右よりの主張になってしまっていること。
(そう感じてしまうこと)
そして、冒頭の推薦文に小林よしのり氏の言葉を掲載していることで、右よりのイメージを与えてしまっていること。
唯一の幸運 かつての戦争の評価については、様々な意見があり、人によって大きく違う。しかし東京裁判の不当性については、今や左翼学者ですら否定できなくなった。パール判事が存在したこと、リンチの中にうっかり一人国際法学者を混ぜてしまったこと、これは日本にとって唯一の幸運だったのではないだろうか?また、「あわせて買いたい」と推薦されている『台湾人と日本精神』は感動的な名著なので、ぜひ本書とともに読んでほしい。
唯一の幸運 かつての戦争の評価については、様々な意見があり、人によって大きく違う。
しかし東京裁判の不当性については、今や左翼学者ですら否定できなくなった。
パール判事が存在したこと、リンチの中にうっかり一人国際法学者を混ぜてしまったこと、これは日本にとって唯一の幸運だったのではないだろうか?
『台湾人と日本精神』も感動的な名著なので、ぜひ本書とともに読んでほしい。
是非とも読み比べてください 最近刊行された中島岳志『パール判事』(白水社)と読み比べても良いのではないでしょうか。それに『共同研究パル判決書』(講談社学術文庫)は難解で読むのは大変ですが、こちらも是非とも読んでいただきたいですね。田中正明氏はかつて松井石根の陣中日誌を『改ざん』した前歴を持つ方であったと記憶しています。ですから、田中氏の『バール判事の日本無罪論』も慎重に読む必要があるように思います。
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[ 単行本 ]
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センター試験過去問研究 日本史B
【教学社】
発売日: 2007-04-15
参考価格: 819 円(税込み)
販売価格: 819 円(税込)
( 通常24時間以内に発送 )
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カスタマー平均評価: 0
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[ 文庫 ]
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大東亜戦争の実相 (PHP文庫)
・瀬島 龍三
【PHP研究所】
発売日: 2000-07
参考価格: 650 円(税込み)
販売価格: 650 円(税込)
中古価格: 485円〜
( 通常24時間以内に発送 )
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・瀬島 龍三
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カスタマー平均評価: 4
戦争は昔のこと、にしたいものですね。 大東亜戦争時代、著者瀬島龍三氏は大本営の若手参謀として活躍されていました。私は1968年生まれです。今、アメリカとの関係、アジア各国ことの関係は、すべて前の戦争からひきつづいていくもので、今後もまちがった認識、または認識不足のままではいけないでしょう。世代的に私は、戦争の現実を知りません。また、40前になって、分別ができてくると、なんで、負けるとしか予想できないアメリカとの戦争に突入してしてしまうことになったのか、若い時より興味がでてきました。本の内容にすこし触れますと、まずは開戦当初は太平洋の拠点を軍事的に押さえる。そのタイミングで、ある程度有利な条件がととのえて講和にもっていこう(勝てる、というつもりではけっして開戦してない)というつもりだったそうです。決して、神風まかせで魂だけでつっこんでいったわけでもなく、計画の上での開戦だったそうです。しかし、なぜ負けたのか?忘れてはいけない一冊とおもいますので、ぜひご一読を、と思います。
大東亜戦争の最後の生き証人 瀬島氏があえて呼称にこだわる「大東亜戦争」に日本が至った経緯を米国の大学の講演としてまとめた太平洋戦争の分析と史観。日本軍の参謀として戦った旧敵国の聴衆に綿密な資料分析に基づいた見解を論理的に、淡々と披露する。眼から鱗の衝撃はないが、平成の今となっては最後の生き証人のその冷静で中立的な論説に耳を傾ける価値はあると思う。
大本営参謀が書いた太平洋戦争・大東亜戦争の回顧 瀬島龍三さんは、戦前後日本エリートを語る上で、興味深い対象です。 戦前のスーパーエリートとして教育を受け、大本営作戦課で大東亜戦争を企画立案し、戦後ジャパンマネーの尖兵、大商社伊藤忠商事の会長に登りつめ、中曽根政権など行政の光と闇に深く関与した人物。山崎豊子の『不毛地帯』壱岐正のモデルとされ、美化された瀬島伝説そして、保坂正康『瀬島龍三−昭和の参謀史』等に代表される、責任を取らない参謀という二面性のある評価。評価が強烈に分かれる。近代日本の制度的問題点や日本的エリートの問題点を凝縮した人物だと思う。辻政信や服部卓四郎よりも長生きし、その生き様が彼の哲学や叩き込まれた日本的エリートの思想を脈々と体現している。 その彼のハーバード大学での講演です。よく整理された教科書という印象を受けました。主張する点は、大きく二つ。一つは、当時の地政学的状況から日本の大陸政策・対米戦争は、受動的なもので自存自衛のものであるという東京裁判への反論。もう一つは、時代に合わなかった統帥権と行政権の並立的な明治憲法下での国家運営能力の欠如です。 主張するところは、よく理解できます。が、しかし日本の国家制度的な欠陥(当時から軍人もエリートもみんな認識していた)を「国民及びエリートたちが、自らの手で修正できなかった」という反省点がない部分は、腑に落ちませんでした。制度だから仕方がありませんでした、は甘いといわざるをえない、と感じるのだが・・・。 日本のエリートには、ウルトラ学校秀才の瀬島や辻のような責任を取らない参謀ばかりで、全ての責任をにとる将軍や元首というトップエリートがいない(今でも見ない)ことがこの国の欠点なのかもしれない・・・と思いました。瀬島さんのような天才的な調整能力を持った参謀を、使いこなせるトップを制度的に作り出すことこそが、日本社会の目標なのでは?と思う今日この頃です。
単純に、いまあの戦争を考え直すきっかけになればいい あえて、瀬島は大東亜戦争とよぶ。おおきな、アジア大陸の東のほうの日本が起こした戦いである。 瀬島に関してはいろいろ批判されているみただが、戦後の彼の経歴を見れば 能力実力は優れた人物である。 あえて、この戦争を語ることなく避けていた殻が、弁護しようとする気持ちと真実を語りたいという欲求でこの本はできている。 アメリカイギリスとのあの戦争をすべて否定するのではなく。 どういう経緯でおきて、どうまけたのかを今知るべきである。
良い本であった 大東亜戦争についての著者のハーバード大学での講演をまとめたもの。旧軍と政府の制度について詳細に解り易く述べられている。その制度について学ぶことが出来るだけでも一読の価値がある。旧軍の制度だけでも好い加減なことを記述してある本が多いことをこの本を読むことで良く判る。
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[ 文庫 ]
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沈黙のファイル―「瀬島 龍三」とは何だったのか 新潮文庫
【新潮社】
発売日: 1999-07
参考価格: 660 円(税込み)
販売価格: 660 円(税込)
中古価格: 1円〜
( 通常24時間以内に発送 )
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カスタマー平均評価: 3
瀬島が何かはわからないまま 思ったよりも内容が散漫な印象を受ける。
「「瀬島龍三」とは何だったのか」という副題は明らかにミスリードで、瀬島についてのレポートは本書の一部にすぎない。
瀬島に代表される幕僚達の戦後の生き方を追い、「責任を取らない日本型組織のあり方」について批判的に検証することが本書の主眼ではあろうが、登場人物も検証されるエピソードも予想外に多いために、事実の検証方法は歴史家のものと比べて(例えば保阪正康氏のものと比べて)薄い印象は否定できない。
例えば、瀬島について言えば、彼のキャリアの中でもっとも疑惑の目が向けられる終戦間際の対ソビエト交渉やシベリア抑留時に何が話されたのか、当事者のインタビューだけを取るだけではなく、インタビューで語らなかったことを追う姿勢がなければ、それほど価値がない。
服部―辻という日本の精神主義を象徴する作戦参謀が、ノモンハンでの失敗以降も軍の中枢にとどまり続けたことは、敗戦の理由を考えるうえで避けて通れない大きな問題だと思うが、だとすれば彼らを庇護し登用した参謀本部のあり方や陸軍の人事制度について深く追うべきではなかったか。戦後の混乱期に志位正人はじめ将校たちがスパイ活動をしていた事実など、本書の主題からして本質的な問題ではない。
結局は、一つのテーマにあわせて色んなエピソードを集めた本ということになるのだが、「沈黙のファイル」を追い、歴史の闇を明らかにしたという印象は持てない。
4名の取材班による連載記事だからか、一冊を通じてのドライヴ感は不足 魚住昭を何冊か読み、力のあるジャーナリストだと感じていた。その魚住が共同通信社での末期に参加したこの仕事は、機会があれば読もうと手元に置いていた。ところが9月4日に瀬島氏が亡くなり、今がその機会だと読んでみた。因みに魚住は、訃報を伝えるTVニュースでインタビューを受け、「彼には自分の戦争体験と向き合い、日本がどこで誤ったのかを語って欲しかった」というコメントを寄せていた。
副題に「「瀬島龍三」とは何だったのか」とあるが、船戸与一が解説で仄めかしているように「「瀬島龍三的なる存在」とは何か」という内容だと思う。瀬島氏自身が多くを語らない以上、このXの内実を浮かび上がらせるために外縁を塗りつぶしていく記述スタイルとなり、その結果、瀬島氏その人よりもう少し広く「瀬島的なるもの」が姿を現した、というところか。瀬島という固有名詞は、「戦中戦後の日本の歩みを象徴している」という意味で選ばれた(p306)。
ただ、先行レビューで731部隊の話と瀬島龍三が結びついていないという批判があったが、45年7月に関東軍参謀に転出し敗戦処理に携わった以上、731部隊の撤収・隠蔽工作に関与したと考えるのが自然だろう(p133)。仮に主導したのでなくとも、何が起こったかを把握していたはずだ。本書が問うているのは、だから瀬島氏の「沈黙」に他ならない。
読了後に、瀬島氏が95年6月の自衛隊幹部学校における軍事史学会に招かれて講演を行う冒頭場面を再読した。軍事関係の政商として戦後の地位を築いた人間が、自衛官に「大東亜戦争」の義を説くグロテスクさが、より鮮明に感じ取れた。
すさまじい偏向ぶり 今は貴重となった、生粋の共産主義者(「左翼」)の牙城として知られる共同通信社のものした、赤旗が泣いて喜びそうな極左本。朝日新聞ですら平壤に支局を置けなかったのに、それをやってのけたことをみても、共同通信社の偏向ぶりは明らか。本書にも、瀬島龍三氏とは一切関係なく一次資料に基づく有力な証拠すら見つかっていない731部隊を取り上げたり、旧ソ連の情報将校の証言をそのまま聞き書き、そして彼の行ったシベリア抑留者たちへの巧妙な「赤化洗脳」に対しても、なんら批判的な発言はなし。これでよく出版できたものだ。
悪く書かれすぎ? この瀬島龍三という人物、山崎豊子「不毛地帯」の主人公、壱岐正のモデルであり、大戦中は若手の陸軍参謀として主に南太平洋、対ソ戦略を立案し、終戦を満州で迎え、シベリアに11年間抑留され、帰国後は伊藤忠商事に入社、防衛産業や石油開発に携わり、伊藤忠の会長を務めた後、中曽根や金丸のブレーンとして、政界のフィクサーと言われるまでになった男である。昔から名前だけは知っていたのだが、実際どんな人物だったのかということをあまり知らなかったため、この本を読んでようやく人と成りを知った。「不毛地帯」は、瀬島龍三が伊藤忠の会長になる以前で終わっており、また、人物像もかなり純粋に描かれているが、実際の瀬島龍三は清濁合わせて飲む、田中角栄を賢くしたような人物だったらしい。「沈黙の?」では、「戦犯が懲りずにまた悪巧みをしている」的なトーンでかなり批判的に書かれており、おそらく「不毛地帯」と足して2で割ったくらいが正確なところなのだろうが、今の日本の政治的、経済的に混沌とした状況というのは、こういう裏で物事を仕切る大物がいなくなってしまったことと大いに関係があるように思う。正論だけでは物事は進まず、時には潤滑油としての必要悪というものもあるのだろう。
なんだこりゃ 「不毛地帯」で美化された虚像でなく、本当の瀬島龍三について知りたい人はいっぱいいると思います。たぶんこの本は、そういった人をターゲットにしていたつもりなんでしょうが、見事なまでに失敗しております。何でこんなのが賞を取ったのかまったくの謎です。 一例を挙げるなら、海軍参謀であったはずの瀬島を取り上げていたはずなのに、途中でいきなり満州に場面が変わり、延々と石井部隊の悪行がとりあげられます。しかし「おおっ、瀬島は731にも関与していたのか。」と興味を覚えつつ読み進んで言っても、結局は瀬島と731の関係をうかがわせる記述すらまったくなく、何でここにこの記述が挟まっていたのか読者を悩ませるといった具合です。 狂信的左翼の集まりとして知られる共同通信社会部のみなさまは、どうやら瀬島の戦争犯罪を糾弾したいと言う名目でこの本を書いたはいいが、これといったものが見つからなかったので、関係ない戦争犯罪をむりやりに載せてみたようです。(w このような駄本は、とっととゴミ箱に捨てて、保阪正康の著作を読んでください。こちらの著作は、瀬島の実像を批判的、実証的に捕らえることに成功しております。 瀬島のように叩けば埃の出る身である右翼の大物をきちんと批判することすら「左翼」にはまともにできず、どちらかというと保守系文化人である保坂正康がきちんとした批判をしているところに、日本の左翼の病巣の深さがあらわになっていると見るべきでしょうか。
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